幸福とは何であるか、それは、人によって異なる。ではその共通点とは何であろうか。例えば、砂漠に住む一家がいて、常に渇きを癒し潤すための泉を求めて彷徨い続けたとする。そんな彼らが、ある日、オアシスを見つけ、枯れることのない水を手に入れたら、とても幸福であると言えよう。


しかし、そこに居を構え、何年も時が経つにつれ、その幸せは当たり前のことになってしまうのだ。なぜなら、オアシスの水が枯れないからである。水など、あって当然。あんなに求めていた癒しの潤いも、恐れていた渇きも、今やとうに忘れてしまって、息をするのに空気があって当たり前のように、水に対しても感謝の心を失っていく。

 

これは、何も水だけの話に留まらない。人の欲するところ、例外なくすべて、それが満たされて時が経ってしまえば、当初の幸福は失われていって、ただ当然かのように、ただ、そこにあるばかりである。

 

貧乏な人間が、金があれば幸せと言うのは、金がないか、あっても一瞬だからである。愛し合っていた者同士が、やがて不平不満ばかりを言うようになり、憎み合うのは、居るのが当たり前になるからである。飢えたもの、渇望するもの、願うもの、皆、それがないから、あったとしても一時的だから、あれば幸福だろうと思うのである。しかも、それは当人たちにとっては真実なのである。切実なのである。しかし、それを手に入れたとしても、人はやがて初めに幸福だった事を忘れてしまうのである。酒があればと思う者も、飲んでしばらく経てば酒のありがたみなど意識からふと消えてしまって、やがて味も分からなくなる。酔っていた事に気付くのは酒が無くなって次の朝である。


では、初めの幸福について、そのように欲求や願望が満たされた状態を即ち幸福と定義しても良いのであろうか、そうであるならば、飢えることもなく渇くこともない願った全てを手に入れられる富豪は、いつも幸福である。しかし私は、それに否と唱えたい。枯れることのない水も、人が永遠に生きられないのであれば、飲むことができなくなるのだ。しばしば人は、皆、自らがやがて死ぬと言うことを忘れがちである。だからこそ、全てが当たり前にあるのではなく、いつか終わりが来る泡沫の夢であり、かけがえのないものであり、幸福にも偶然そこにあってくれたのだということに気づいて初めて、人は幸福になれるのだ。


幸福とは、私が必要とする全てが、偶然にも私の所にやって来てくれて、限られた時間の中そこに居続けてくれているという事に気付き、感謝する事なのではないだろうか。即ち、生きているのではない、生かされているのだ。死ぬまで空気があるお陰で生かされている、水があるお陰で生かされている、食べ物があるお陰で生かされている、愛があるお陰で生かされている。


それはかけがえのない、幸福な事なのである。
だからこそ、これまでずっと、それに気づかず、かけがえのないものたちを次から次に失い続け、今朝も私は二日酔いのような気持ちで、実際に二日酔いなのであるが、自宅の側を流れる小さな川のほとりを歩き回って、何か心に空いた穴を少しでも埋め合わせてくれるようなものはないだろうかと、キョロキョロと辺りを見回していた。


見ると、小川のせせらぎの中に、赤や黄色の鮮やかな花模様が水にそよいでいる。それらは、時折水面に顔を出しては、パクパクと口を動かしてから、また水の中に戻っていって優雅に泳ぎ回っている。


「あれは、錦鯉ですね」


笑顔を含んだような優しい声が響いて、そちらを振り向くと、家の隣に住む奥さんだった。少しばかり着飾って、街中の百貨店にでも行くのだろう。


「やあ、これは」


どうもと言いかけ、どうもではないだろう、こんにちはか、いや、この時間はまだおはようございますだろうかなどと考えてしまい、バツ悪く頭を下げるにとどまる。


「綺麗ですね」
「ええ」


川を見下ろす奥さんを見つめながら相槌を打つ。サラサラとなびく髪を少し耳にかけて、錦鯉を見ていた睫毛の長い栗色の瞳がこちらを向いて微笑んだ。


「今日は、お休みですか?」

「あ、いえ、私、実は物書きなんかをしとりまして、しょっちゅう暇なんですよ」


私はごまかし笑いをしながら錦鯉に視線を移す。


「そうなんですね。ところで、あの鯉たちは何故、ああやってときどき水面に出てきて、口をパクパクさせるのでしょう?」


私は錦鯉と、それを再び見つめる透き通るような白い肌の女を交互に見ながら、逡巡し、しばらくして、ため息をつきながら何となく空を見上げた。


「なぜでしょうね、きっと、自分が幸せであることを忘れないためだと思います。ああやって時折水から顔を出しては、水の中でしか息が出来ない、水のありがたみを確認しているように見えますね」


薄い雲がゆっくりとちぎれたりくっついたりして、ぼんやりと消えていく。それから涼しくて心地良い風が吹き抜けた。もう秋が来たんだな。


「水から出られない不幸を叫んでいるようにも見えます」


その声に、どきりとして彼女の方を見ると、錦鯉を見つめながら何かを慈しむような、憂うような、そんな目をして微笑む横顔を、少し冷たくなった11月の風がサラサラと撫でていった。


砂漠の一家がようやく見つけたと思ったオアシスの水に、ほんの少し毒が混ざっていて、彼らをじわじわと真綿のように少しずつ、締め付けるように蝕んでいたとしたら。そんな考えが、ふと、脳裏に浮かんで私はゾッとした。


それきり二人は一言も交わさなかったが、何となく同じ方向へ歩き出し、別々の、隣同士の家に帰っていった。