僕とパチスロ①〜現役引退に添えて〜
初めてホールに入ったのは19歳の時だった。
友達に連れられて興味本位で遊びに行ったのがきっかけだ。
当時はストック機全盛時代。
初代北斗や吉宗、キングパルサーなどをメインにホールは連日満席で活気にあふれていた。
初打ちは銭形。ビギナーズラックで7万の大勝利。
ほんの数時間で7万。
一ヶ月のアルバイト代が稼げる。
僕らはホールを出た足で豪遊した。
普段行かないような高い店で、高い酒と高い料理を楽しんだ。
こんな楽しい事が人生にあるんだ、毎日こんな思いが出来たら最高だなぁ。
のめり込んでしまうのに時間はかからなかった。
そこから数日の間連敗が続き、気づけば素寒貧に。
バイトの給料日まで後10日もあるのに、どう生きていけば…。
天国から一転、地獄のような日々を過ごすことになった。
卵とモヤシだけで命をつなぎ、その間、歯をくいしばりながら、何故こうなったか考えた。
何故負け続けたのかを。
それから、わずかなアルバイト代を種銭に、どうやったら稼げるか…パチスロが好きな友達と集まり、必死に勉強と研究を始めた。
僕らが目をつけたのがキングパルサーだった。
ゾーン狙いのハイエナ中心で立ち回り、大勝ちは少ないがそこそこ安定して稼げるようになった。
バイクで県内のホールを巡回し、ゾーンで落ちている台を打ちまくった。
バイト代の倍以上稼げる月もあった。
当時はホールのイベント広告規制がなく、7のつく日は〇〇デーなど、パチンコ屋同士が集客のためイベントの熱さを競い合っていた。
打っている台にお昼過ぎになると海物語のキャラで数字を示唆する札が刺さる事もあった。例えばアンコウなら設定6。
ある時打っていたキングパルサーにアンコウ札が刺さり、チンピラと台の取り合いになった事もあった。
朝、俺が回してた台だからどけ!と
滅茶苦茶だ。
断固拒否。ボタンで店員を呼ぶと捨てゼリフを吐きながら帰っていった。
その台は閉店までぶん回した。
そんな折に、県内のホールで台の取り合いで殺し合いになったというニュースが流れた。
よく行くホールだったので、背筋に一瞬、冷たいものが走った。
もしかしたら自分が刺されていたかも知れない。
そう思うと、夜だけしか眠れなかった。
そんなことは実はあまり気にもしていなかった。正常性バイアスというやつである。
まあ、自分は大丈夫だろう。
そんな気楽さでホールに足を運び続けた。もちろん、稼ぐためだ。
後に僕らが光るATMと呼ぶ事になるジャグラーを打ち始めたのも、この頃だった。
続く。