僕とパチスロ②〜現役引退に添えて〜

ジャグラーを打つきっかけとなったのも、友達だった。

彼はジャグラー専門で稼いでいて、後に僕が師匠と仰ぐ事になる人物である。

彼から、ジャグラーの全てを教わった。

設定6をいかにぶん回すか。つまるところそれだけだ。

ゴーゴーランプがペカったらボーナス。

至極単純明快である。

単純な僕は、単純なゲーム性のジャグラーに惚れた。

しかし、単純だと思っていた彼女は、実はとても複雑な女性(ヒト)だったのである。

僕は何度も振られ続けた。

そんなある日、師匠とメシを食う機会があった。

 

師匠、どうすればジャグラーを攻略出来ますかね。連チャンしたと思ったらハマり、6だと思ってたら途端に機嫌が悪くなる。もうどう付き合っていいか分からんす。

 

あれは完全確率などでは無いよ。

 

え?それはどういう事ですか?

 

あの台は抽選テーブルのハズレの割合が変動してる。連チャンする時はハズレが少ないテーブル、ハマる時はハズレが多いテーブルだよ。

だから小役の落ち方見てたら大体ハマる時がわかるから、島の状況やボーナス確率みて6じゃなさそうならやめ時だね。

 

なるほど。それってオカルト?

 

オカルトかもね、でも打ち続けてたら何となくわかるよ。

 

この当時は師匠の言う事とはいえ、とても眉唾だったため、僕は信じなかった。

ジャグラーなんて1000円でペカらせて100G回してやめたらええんじゃ、と。

師匠の言葉の意味が何となくわかるようになったのは何年も後、5号機の時代になり、プロ生活を始めてからである。

 

ジャグラーはどうやら差枚数をカウントして抽選テーブルを選択しているのでは…

北電子独自の乱数制御というのはもしかしたら、当たりやすさの変動なのでは無いだろうかと。

そうでなければ説明がつかない怪奇現象が起こり続けたからだ。

5連続で5G以内に連チャンしたり、2連続1G連したり、1500Gハマっている台を週2くらいで同じシマで見かけたり、どの台も2000枚出たら必ずREGばかり落ち出してハマり出したり…数え切れないほど。

 

その怪奇現象を逆手に取り、僕はジャグラーで勝率を上げる方法を編み出した。

負の差枚数のサポートラインを狙う立ち回りである。

高設定挙動の台は、ある程度出た後、グラフでこの枚数以上はハマりにくいだろうというサポートラインが引ける。

その付近でヤメている台をぶん回す。

2000枚以上出してヤメている台はなるべく触らない。

単純だが、これをやるだけで勝率が上がる。

その方法を使い、ジャグラーでも安定して稼げるようになった。

 

でも、そんな事なんて別にどうでもよくなる程、あのランプには魔力があった。

およそ自然界には存在しない魔の光。

ゴーゴーランプ。

僕らはただそれが見たいがために打っているようなものだったと言っても過言では無い。

あれは人を狂わせる光だ。

あの光に魅せられて、冷静さを失った瞬間がこれまで幾度となく訪れた。

ヒカリガホシイ…ヒカリガホシイ…

ジャグラーのシマはまるであの輝きを求めて集まる亡者の巣窟のようだった。

 

他にも書きたい事山ほどあるな…

でも引退に添えてという事だからとりあえず今回はこの辺で。

他の話、吉宗や北斗の思い出、鬼武者専門時代、5号機のプロ生活時代、6号機のプロ生活時代の話はまた今度書きます。

 

今回の引退の大きな理由は、三つあります。

1、今後メインとなる6号機のスペックがプロ生活者向きとは言えない事

ハイエナ出来るようになったとはいえ、情報が早すぎてそんな台はあまり落ちないし、6が分かりやすすぎて高設定ツモるのは最早抽選番号のくじ運。

2、来年4月からホールが全面禁煙となる事

ハマってる時にタバコ吸えないのはきつい。

3、腰痛と肩コリの慢性化により、長時間の稼働が辛くなってきた事

7〜8時間で激痛で肩が上がらなくなります。

 

これらの理由から、僕はプロ生活引退を決意しました。

仲間達より少し粘りましたが、もう充分やったし良いかな!という感じです。

 

本当に、長い間、これまでパチスロにお世話になりました。

好きな事をして稼げたのは、本当に夢のような生活だったと思います。

笑いあり涙あり、パチスロは僕の青春そのものでした。

ホールやメーカーには感謝しかありません。一部のクソ店とクソ台を除いて。

 

仕事としてのパチスロ、プロ生活は辞めますが、これからはふた月に一回くらい、諭吉1人だけ連れて趣味打ちに行きます。

なので、ホールで僕を見かけても

 

あれ?お前引退したはずだろ?来んなや!

 

なんて言わないで下さいね…。

僕とパチスロ①〜現役引退に添えて〜

初めてホールに入ったのは19歳の時だった。

友達に連れられて興味本位で遊びに行ったのがきっかけだ。

当時はストック機全盛時代。

初代北斗や吉宗、キングパルサーなどをメインにホールは連日満席で活気にあふれていた。

初打ちは銭形。ビギナーズラックで7万の大勝利。

ほんの数時間で7万。

一ヶ月のアルバイト代が稼げる。

僕らはホールを出た足で豪遊した。

普段行かないような高い店で、高い酒と高い料理を楽しんだ。

こんな楽しい事が人生にあるんだ、毎日こんな思いが出来たら最高だなぁ。

のめり込んでしまうのに時間はかからなかった。

そこから数日の間連敗が続き、気づけば素寒貧に。

バイトの給料日まで後10日もあるのに、どう生きていけば…。

天国から一転、地獄のような日々を過ごすことになった。

卵とモヤシだけで命をつなぎ、その間、歯をくいしばりながら、何故こうなったか考えた。

何故負け続けたのかを。

それから、わずかなアルバイト代を種銭に、どうやったら稼げるか…パチスロが好きな友達と集まり、必死に勉強と研究を始めた。

僕らが目をつけたのがキングパルサーだった。

ゾーン狙いのハイエナ中心で立ち回り、大勝ちは少ないがそこそこ安定して稼げるようになった。

バイクで県内のホールを巡回し、ゾーンで落ちている台を打ちまくった。

バイト代の倍以上稼げる月もあった。

当時はホールのイベント広告規制がなく、7のつく日は〇〇デーなど、パチンコ屋同士が集客のためイベントの熱さを競い合っていた。

打っている台にお昼過ぎになると海物語のキャラで数字を示唆する札が刺さる事もあった。例えばアンコウなら設定6。

ある時打っていたキングパルサーにアンコウ札が刺さり、チンピラと台の取り合いになった事もあった。

朝、俺が回してた台だからどけ!と

滅茶苦茶だ。

断固拒否。ボタンで店員を呼ぶと捨てゼリフを吐きながら帰っていった。

その台は閉店までぶん回した。

そんな折に、県内のホールで台の取り合いで殺し合いになったというニュースが流れた。

よく行くホールだったので、背筋に一瞬、冷たいものが走った。

もしかしたら自分が刺されていたかも知れない。

そう思うと、夜だけしか眠れなかった。

そんなことは実はあまり気にもしていなかった。正常性バイアスというやつである。

まあ、自分は大丈夫だろう。

そんな気楽さでホールに足を運び続けた。もちろん、稼ぐためだ。

後に僕らが光るATMと呼ぶ事になるジャグラーを打ち始めたのも、この頃だった。

 

続く。

ちくわ

絶望する者にかける言葉は無い。

取り返しがつかず、未来も無い、手の打ちようが無い、どうしようもない、絶望。

それはまるで闇だ。何も見えない、聞こえない、自分が立っているのか座っているのかすら定かでは無い、正真正銘の闇。

そこに放り出された者に、かけられる言葉は無い。

また次があるさ、などという慰めの言葉が何になるのだ。次など無い。あるはずが無い、くだらない。

あいつらは良いのだ、痛くも痒くも無いのだから。所詮は他人事。勝手な話だ、落ち込むななどと。

 


途方に暮れるとはこういう事なのだろう。

私は、僅かばかりの気力を振り絞って、歩み、家路に着いていた。

薄闇にどんよりとしたアスファルトが、延々と続いている。足が、沈んで行きそうだ。街路樹は、葉もまばらに落ちきってしまいそうで、余計に寒々しい。

クソみたいな風景だな。クソみたいな街め。心の中で悪態をつき続け、わざとらしく靴の踵を擦りながら、今朝来た道を戻っていく。

 


最寄りの駅から歩いて、家に着くまでに小さな繁華街を通る。繁華街と言っても、居酒屋とスナックが十数軒、軒を連ねているだけで、全然大層なものではない。

このまま帰ったところで、郵便受けに入った請求書の海に溺れて溺死するのがオチだ。取りあえず、溺れるなら酒の方がまだマシだと思い、フラフラと吸い込まれるように、ぼんやりと光るネオンの海に潜っていく。

 


一軒の、小料理屋が目を引いた。とても、スナックなんて気分じゃない。今のメンタルにはちょうどいい、どうせやけ酒だ。一人でチビチビとやろうじゃないか。

紫の生地に小料理紫乃と書かれた暖簾を押して店に入る。やけに良い香りがする。これはおでんだろうか。

 


「いらっしゃい」

 


と、幾分か無愛想にも聞こえる年老いた婆さんの声が出迎える。私は人差し指を一本立てて、しわしわの婆さんに会釈し、カウンターに腰かけた。

 


「はいどうぞ」

 


おしぼりが手渡され、くしゃくしゃと適当に揉んで、手に着いた脂をそれに移す。

 


「何にされますか?」

「熱燗を下さい」

 


返事もなく、婆さんが引っ込み、日本酒を瓶から徳利に移して鍋に入れ、火にかけた。

熱燗を待つ間、私は店内を見回した。客は私以外に一人、よぼよぼの爺さんが私の席から3つ離れたカウンターの一番奥で、おでんを突きながら瓶ビールを飲んでいる。他に4人がけのテーブルが2つあるが、そこは無人である。

 


「あんた、若いの」

 


爺さんが、少し乱暴に手招きしている。

 


「何でしょう?」

 


私が少し身を乗り出してたずねると、爺さんが突ついていたおでんの皿をこちらに寄越した。

 


「食べなさい、うまいから」

 


爺さんはご丁寧に自分の箸を大根に刺して、転げないように配慮した上で、私の前におでんの皿を押しやる。

 


「ああ、お構いなく、自分で頼みますので」

 


私は箸が刺さった大根を筆頭に、手持ち無沙汰で爺さんが突きまくって穴だらけになった卵やはんぺんが乗った皿を、強制送還した。

 


「若いのに、食べないのかね?ひもじそうに見えるのう」

 


随分勝手な事を言うもんだ。ひもじいのは強ち間違いでは無いが。愛想笑いで誤魔化しながら、私はなんだか具合が悪くなって、一杯ひっかけたらもう帰ろう。と心に決めた。

 


「あんた、ここの人かね?見かけないけど、死にそうな顔をしておる」

 


爺さんがこちらを心配そうに見つめている、おでんを断ったのがよっぽど意外だったらしい。ひもじそうなのに、食べないと言うことは、よっぽど不健康に映ったのだろう。

 


「いえ、あ、いやまあ、ここの近くに住んでおりまして。ここに来るのは初めてです。顔が死にそうなのはまあちょっと色々とありましたので」

 


頭をボリボリ掻きながら答える。婆さんが熱燗の入った徳利をおしぼりで包んで私の前に置のを見て、爺さんが、おでんとビール瓶を持って、よろよろと、こちらへ近づいてくる。隣の席に座った。

再び爺さんのおでんが私の目の前に戻ってきた。どうやら、私はこいつを口にする運命らしい。否、絶対口にするものか。

すると、婆さんがカウンター越しに、大根や卵、はんぺん、ちくわ、牛すじ、次から次へと爺さんの皿に盛っていく。

 


「酒を頼んだら、おでんが5つ来るから。お通しみたいなもんじゃ」

 


爺さんが何故か誇らしげに言う。常連だから、わしは知ってるんじゃよ。と言わんばかりの顔だ。私は穴だらけのおでんときれいなおでんが混在した皿をまじまじと見つめて、何故か身動きが取れずにいた。

 


「まあ、飲みなさい」

 


爺さんがお猪口に熱燗を注いでくれた。乾杯をして、飲む。ぬるい。

 


「まあ、何があったかは知らねえけども。あんたは若いから、大丈夫じゃよ」

 


その言葉に私は少しムッとして、うつむいた。何も知らないくせに、随分と勝手な事を言うもんだ。誰も見ていなかったら、ギリギリ下唇を噛んでいたところだ。

すると、爺さんがおもむろに箸を伸ばして、目の前の皿から、きれいな方の大根を取り上げ、ひとかじりして、皿に戻した。

 


ああっ、と声が上がりそうになった。それ、私の大根です。

 


私は、きれいに歯型がついた大根を見下ろして、悲嘆に暮れた。

 


「まあ、わしがあんたくらいの頃は、戦後の何もない焼け野原に放り出されて、本当に何もなくて、毎日地獄じゃった。食べるものも無くて、毎日、そこらへんの草を食うておった。なあ、しーちゃん」

 


爺さんが同意を求めたしーちゃんが、カウンターの向こうで神妙な面持ちを浮かべ、頷く。しーちゃんは、しわしわのしーちゃんか、神妙のしーちゃんか。死にかけの…

 


「まあ、今はこうやって、好きな時に、酒が飲めて、おでんが食える。それだけでありがたいと、思わんといかん」

 


そう言って爺さんがまた、箸を伸ばして、皿の上空をユラユラと旋回し、ターゲットを定めた。はんぺんだ。しかも、きれいな方の、私のはんぺん。

私はすかさず箸を伸ばし、自分のはんぺんを全速力で刺しに行く。

取った。へへ、ざまあみろ、私の勝ちだ。

私ははんぺんを口に運び、一口かじる。

うまい、ダシが沁みていて、濃厚な旨味だ。

そのままふたかじり、みかじりで平らげる。

 


「今の世の中は便利になりすぎておる。あんたの年頃じゃ、何もかも、生まれてくる頃には全部揃っておったじゃろ。だから、へんな不満や絶望が訪れるんじゃ」

 


私がはんぺんをかじるのに夢中になっている間に、爺さんはいつのまにか牛スジの串を手にしていた。もちろん、マイ牛スジである。

しまった、はんぺんは、ブラフだったか。

そういえば、この爺さん、自分のはんぺんも突き回しているだけで食べてない。

つまり、はんぺんはあまり好きじゃないのだ。

呆気にとられている私を尻目に、爺さんが器用に、串を横に持ち、スルスルと牛スジを口に入れる。

こんのクソジジイが。それは私の牛スジぞ。

卵、卵だけは何としても死守。死守死守死守。

私は再び超速で卵を捕まえに行く。挟むのは、取りこぼすリスクがある。この鉄火場でそんなタイムロスは是が非でも避けたいところ。ここは、箸でぶっ刺した方が無難だろう。

 


「あ」

 


私が声を漏らしたと同時に、刺し損ねた、予想以上に弾力に富んだ卵が、皿から踊りでる。

二度、ぼいんぼいんとバウンドしたそれを、ジジイが左手で捕まえる。

ナイスキャッチ、爺さん。

そして、爺さんは美しいほど無傷のマイ卵を、口に運び、かじり、そしてまた皿に戻した。

 


「あんたらは、恵まれているが、少しばかり不幸かもしれんの。わしらの頃は、何もなくて、世界が今よりもずいぶんと広かった。それこそ、焼け野原じゃ。周りに何もないから、地平線が見えたんじゃ。そこから朝日が昇るのも見た。じゃが、あんたらはどうじゃ。色々なものに囲まれて、窮屈そうじゃ。世界は、本当に狭くなったと思うよ」

 


「それについては、同感です」

 


話しながら、箸でジジイとちくわを引っ張り合う。このジジイ、人のおでんを一体なんだと思っているんだ。これは、私のちくわだぞ、決してあんたのじゃあない。そもそも、なんでこいつはさっきまで食べもせず、自分のおでん突き回していたくせに、人のおでんを取ろうとするのだ。

全くもって意味がわからない。怖い。

 


「あんたが、どんな世界で生きとるかわしゃ知らんが、若いっちゅうことはのう、つまり、それだけで希望なんじゃ。ワシみたいな老いぼれは後は死ぬだけじゃからのう。あんたにはまだ未来がある、機会があるんじゃ。また今度この店に来ればいいじゃろう。わしゃ明日死ぬかもしれんのじゃ。だからちくわ寄越せ」

 


「いやだ、絶対に渡すものか。明日死ぬかもしれないのはこちとら同じ事よ」

 


「むむ、若いのに強情なヤツめ。年上の言う事は聞くもんじゃ、さもなければ、このちくわみたいに芯のない、人間に成り果てるぞ」

 


「うまいこと言ったつもりか爺さん、そもそもこのちくわはこっちのものだ。勝手に横から奪う権利はあなたには無いはずだ」

 


「このちくわが、あんたのちくわってどうしてわかる?これはワシの皿じゃぞ。ワシの皿に入っておったから、ワシのちくわじゃ」

 


ジジイと二人、ちくわを箸で引っ張りあっていると、カウンターの向こうから新しいちくわが一本、皿の上にポトリと置かれる。

 


「サービスよ」

 


しーちゃんが、優しい声でつぶやく。

ちくわを引っ張りあったまま、二人で、ちくわを見つめ、しーちゃんを見、顔を見合わせて、同時にため息をつく。

なんだかどっと疲れた。

ちくわを離し、お猪口に酒を注いで、グイと飲み干す。

 


「若いのは元気があって良いのう」

 


「爺さんの元気には負けますよ」

 


そう言ってなんだか笑っている自分に、ふと、気がついた。

 


その後、他愛のない世間話を爺さんと交わし、徳利を3本ほど空けてから、会計を済ませた。

 


「また来てちょうだいね」

 


しーちゃんが初めて、しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑った。

もしかしたら、初めからしわくちゃだったから、最初から笑っていたのかもしれない。

幸せの、しーちゃん。

 


「まあ、若いの、あんたまた飲もう。お互い生きていればの」

 


そう言ってジジイがカカカと笑った。

何となく、握手がしたくなり、ジジイの手を取り御礼を言った。ありがとうクソジジイ。また、来るよ、絶対。

 


私は再び紫色の暖簾を押して繁華街の通りに出た。ネオンの海がキラキラと、珊瑚のように煌めいていた。

幸福とは何であるか、それは、人によって異なる。ではその共通点とは何であろうか。例えば、砂漠に住む一家がいて、常に渇きを癒し潤すための泉を求めて彷徨い続けたとする。そんな彼らが、ある日、オアシスを見つけ、枯れることのない水を手に入れたら、とても幸福であると言えよう。


しかし、そこに居を構え、何年も時が経つにつれ、その幸せは当たり前のことになってしまうのだ。なぜなら、オアシスの水が枯れないからである。水など、あって当然。あんなに求めていた癒しの潤いも、恐れていた渇きも、今やとうに忘れてしまって、息をするのに空気があって当たり前のように、水に対しても感謝の心を失っていく。

 

これは、何も水だけの話に留まらない。人の欲するところ、例外なくすべて、それが満たされて時が経ってしまえば、当初の幸福は失われていって、ただ当然かのように、ただ、そこにあるばかりである。

 

貧乏な人間が、金があれば幸せと言うのは、金がないか、あっても一瞬だからである。愛し合っていた者同士が、やがて不平不満ばかりを言うようになり、憎み合うのは、居るのが当たり前になるからである。飢えたもの、渇望するもの、願うもの、皆、それがないから、あったとしても一時的だから、あれば幸福だろうと思うのである。しかも、それは当人たちにとっては真実なのである。切実なのである。しかし、それを手に入れたとしても、人はやがて初めに幸福だった事を忘れてしまうのである。酒があればと思う者も、飲んでしばらく経てば酒のありがたみなど意識からふと消えてしまって、やがて味も分からなくなる。酔っていた事に気付くのは酒が無くなって次の朝である。


では、初めの幸福について、そのように欲求や願望が満たされた状態を即ち幸福と定義しても良いのであろうか、そうであるならば、飢えることもなく渇くこともない願った全てを手に入れられる富豪は、いつも幸福である。しかし私は、それに否と唱えたい。枯れることのない水も、人が永遠に生きられないのであれば、飲むことができなくなるのだ。しばしば人は、皆、自らがやがて死ぬと言うことを忘れがちである。だからこそ、全てが当たり前にあるのではなく、いつか終わりが来る泡沫の夢であり、かけがえのないものであり、幸福にも偶然そこにあってくれたのだということに気づいて初めて、人は幸福になれるのだ。


幸福とは、私が必要とする全てが、偶然にも私の所にやって来てくれて、限られた時間の中そこに居続けてくれているという事に気付き、感謝する事なのではないだろうか。即ち、生きているのではない、生かされているのだ。死ぬまで空気があるお陰で生かされている、水があるお陰で生かされている、食べ物があるお陰で生かされている、愛があるお陰で生かされている。


それはかけがえのない、幸福な事なのである。
だからこそ、これまでずっと、それに気づかず、かけがえのないものたちを次から次に失い続け、今朝も私は二日酔いのような気持ちで、実際に二日酔いなのであるが、自宅の側を流れる小さな川のほとりを歩き回って、何か心に空いた穴を少しでも埋め合わせてくれるようなものはないだろうかと、キョロキョロと辺りを見回していた。


見ると、小川のせせらぎの中に、赤や黄色の鮮やかな花模様が水にそよいでいる。それらは、時折水面に顔を出しては、パクパクと口を動かしてから、また水の中に戻っていって優雅に泳ぎ回っている。


「あれは、錦鯉ですね」


笑顔を含んだような優しい声が響いて、そちらを振り向くと、家の隣に住む奥さんだった。少しばかり着飾って、街中の百貨店にでも行くのだろう。


「やあ、これは」


どうもと言いかけ、どうもではないだろう、こんにちはか、いや、この時間はまだおはようございますだろうかなどと考えてしまい、バツ悪く頭を下げるにとどまる。


「綺麗ですね」
「ええ」


川を見下ろす奥さんを見つめながら相槌を打つ。サラサラとなびく髪を少し耳にかけて、錦鯉を見ていた睫毛の長い栗色の瞳がこちらを向いて微笑んだ。


「今日は、お休みですか?」

「あ、いえ、私、実は物書きなんかをしとりまして、しょっちゅう暇なんですよ」


私はごまかし笑いをしながら錦鯉に視線を移す。


「そうなんですね。ところで、あの鯉たちは何故、ああやってときどき水面に出てきて、口をパクパクさせるのでしょう?」


私は錦鯉と、それを再び見つめる透き通るような白い肌の女を交互に見ながら、逡巡し、しばらくして、ため息をつきながら何となく空を見上げた。


「なぜでしょうね、きっと、自分が幸せであることを忘れないためだと思います。ああやって時折水から顔を出しては、水の中でしか息が出来ない、水のありがたみを確認しているように見えますね」


薄い雲がゆっくりとちぎれたりくっついたりして、ぼんやりと消えていく。それから涼しくて心地良い風が吹き抜けた。もう秋が来たんだな。


「水から出られない不幸を叫んでいるようにも見えます」


その声に、どきりとして彼女の方を見ると、錦鯉を見つめながら何かを慈しむような、憂うような、そんな目をして微笑む横顔を、少し冷たくなった11月の風がサラサラと撫でていった。


砂漠の一家がようやく見つけたと思ったオアシスの水に、ほんの少し毒が混ざっていて、彼らをじわじわと真綿のように少しずつ、締め付けるように蝕んでいたとしたら。そんな考えが、ふと、脳裏に浮かんで私はゾッとした。


それきり二人は一言も交わさなかったが、何となく同じ方向へ歩き出し、別々の、隣同士の家に帰っていった。

映画「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」を観た(少しネタバレ?)

ケンニチワ!

 

前略、ブッチャーです。もぐもぐ。

 

映画紹介シリーズ第2弾は、若かりしジェイソン=ステイサムのデビュー作、ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズです。

 

f:id:butchersan:20190515104620j:plain

 

このころからすでに、頭髪が後退していらっしゃいますが、デビュー作とは思えない好演ぶりを発揮しています。ハゲているのにカッコいい。

 

男としてはうらやましい限りです。孫正義閣下もおっしゃていました、

 

「髪の毛が後退しているのではない、私が前進しているのだ。」と。

 

コンプレックスを武器にできるってすごい魅力的ですよね。私も母方の祖父がハゲていたので、ゆくゆくはハゲて行く運命にあるかと思いますが、どのみちハゲるならこんなかっこいいハゲになりたいですね。

 

さて、頭皮のお話はこのくらいにして、映画の概要について少し触れたいと思います。

 

“『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(Lock, Stock and Two Smoking Barrels)は1998年イギリス映画である。クライムアクション映画。本国イギリスでは、その年の年間興行成績1位を記録した。

後にガイ・リッチー製作総指揮・脚本で、テレビドラマとしてリメイクされた。『ロック、ストック&フォー・ストールン・フーヴズ』及び『ロック、ストック&スパゲッティ・ソース』の題名で、日本でも入手可能。”(Wikipediaより。)

 

“1998年8月28日にイギリス、1999年3月5日にアメリカで公開された。アメリカでの興行収入の合計は$3,753,929となった

ジョン・ファーガソンRadio Timesで「『長く熱い週末英語版』以来のイギリスのベストクライム・ムービーだ」と評価した。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesでの支持率は76%でMetacriticでは30件のレビューがあり加重平均値は66/100点となった。”(Wikipediaより。)

 

イギリス本国のみならず、アメリカでもかなり人気の高い作品ということが、興行成績やリメイクされた事実から伺い知れます。

 

◆以下、あらすじ◆

 

 舞台はロンドンの下町。窃盗や盗品の横流しなどで生計を立てるエディ、ベーコン、トム、ソープのチンピラ4人組が、カードゲームの天才エディの提案により、有り金10万ポンドを持ち寄り、一獲千金を企み地元マフィアのボス・ハリーが主催するポーカーに参加する。

 

 しかし、ハリーがイカサマを行い、掛け金を50万ポンドまで引き上げられた挙句、敗北してしまう。負債の返済期限は1週間。

 

 一週間以内に50万ポンドをハリーに返済しなければ、指と、エディの父親のバーを失うことになる。

 

 途方に暮れる四人だったが、たまり場であるアパートの隣の部屋から、ギャングが儲け話をしているのを盗み聞きし、その裏をかいて一山当てようと目論むのだが・・・

 

と、ここまでが導入部分のあらすじでございます。

 

少しネタバレになりますが、前回ご紹介いたしましたスリー・ビルボードにつづき、今回の映画も「ボタンの掛け違い」モノでございます。

 

登場人物それぞれの先入観や誤った情報、勘違いやすれ違いから、物語がてんやわんやはちゃめちゃの展開をしていきます。

 

鹿児島弁で言うなら、「ちん、がら」

 

という言葉がぴったり当てはまるのではないでしょうか。

 

クライムサスペンスというより、クライムコメディーと呼んだ方が相応しいかも知れません。

 

アンジャッシュのすれ違いコントにも通じるような笑いです。

 

こう言った皮肉に満ちた笑いのセンスは、嫌いじゃないです。

 

「スリービルボード」や、先ほどウィキ引用で紹介されていた「長く熱い週末」などの作品がハマった方に是非お勧めしたい映画です。

 

◆みどころ◆

・若かりしジェイソン・ステイサムの好演。

 ワルだけどどこかお茶目で憎めないキャラクターを見事演じ切っています。酔っぱらってはしゃいでいるシーンは、最近のクールな演技とは一味違うステイサムが見れて思わず笑みがこぼれました。

 

・どこかお間抜けで憎めない登場人物たち。

 みんな、どこかしら抜けていてアホです。吉本新喜劇を観ている様な気分になります。極悪人が多数登場しますが、どこか憎めないところがある。そこが、この映画が長く愛されている理由の一つなのかもしれません。

 

・映画の主軸が、目に見えていて分かりやすい。

 物語のカギとなるのは、映画のタイトルどおり、二丁の古びた散弾銃です。この散弾銃を軸に、物語が展開していきます。なので、とても分かりやすく、目に見えている分、最後までヤキモキします。

 

今回も、詳しい内容についてはネタバレになるので書きません。

 

本当は、書きたい!ここが面白い!というところを書きたい!

そこを、ぐっっとこらえて、今回はこれで。

 

ほいじゃ、また!

映画「スリー・ビルボード」を観た。ネタバレ無し。

ケンニチワ!

 

レッチリとレイジアゲインストザマシーン、スケボー(初心者です)とマクドナルド、そしてTSUTAYAをこよなく愛する鹿児島のバンド「F.O.G」ギター担当のブッチャーです。

 

映画は映画館で観るより、最近は自宅で観る方が好きです。

 

映画は毎週5本、TSUTAYAでレンタルするので、月に20本ペースで観ています。

 

ジャンルはホラーからラブコメまで様々です。

 

とりあえず気になったものを片っ端から見ていくスタイルを、10年くらい続けております。

 

以前はビデオBIGという店で借りてました。

 

単純計算で年間約240本だとすると、これまでに2400本以上は観たことになります。

 

海外ドラマやアニメ、同じものを何度か借り直したりということもあるので、もしかするとそれより減るかもしれませんが、TSUTAYAの棚端から端までどれもほとんど観たことある映画ばかりなので、気分的には2400本以上は見てるような気がします。

 

今回は、スリー・ビルボードという作品を借りて来ました。

 

f:id:butchersan:20190417235952j:image

 

前から気になってはいたものの、なかなか自分のコンディションが整わずに、手に取れなかった作品です。

 

アクションやホラーなど、何も考えなくても面白い作品は、ストロングスタイルで挑めるのですが、こう言ったドラマ系のものは、鑑賞後1週間くらいメンタルに何かしらの影響を与えるので、気持ちの準備が整ってから借りるようにしております。

 

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入ろうと思います。

 

以下「」、ウィキペディアより抜粋

 

「本作は2017年8月に開催された第74回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、最高賞である金獅子賞こそ逃したものの、マクドナーが脚本賞を受賞するなど高い評価を得た。また、第90回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、作曲賞、編集賞など6部門で計7つのノミネートを受け、フランシス・マクドーマンドが主演女優賞をウディ・ハレルソンと共にWノミネートされたサム・ロックウェル助演男優賞を受賞した。」

 

監督・脚本をマーティン・マクドナー、主演をフランシス・マクドーマンドが務めております。

 

マーティン・マクドナーは、イギリスの劇作家から映画監督・脚本家デビューし、大成功を収めた人物です。他の作品もかなり面白いものばかりなので、どれもオススメです。キューブリック作品位ハズレがないです。

 

f:id:butchersan:20190418002109j:image

 

フランシス・マクドーマンドは、俺が大好きなコーエン兄弟のデビュー作「ブラッド・シンプル」や、「ファーゴ」にも出演しておりましたので、コーエン好きにはお馴染みの顔ですね。

 

タフな女性の役柄のせいか、どことなく「エイリアン」のシガニー・ウィーバーにも似てる気がします。

 

どうでもいいけど、マクドーマンドを打とうとすると変換候補に何度もマクドナルドが出てくる。

 

コーエン兄弟については、また別記事で紹介しようと思います。

 

さて、この映画を一言で表現するのは、かなり難しい。というのも、作品が扱うテーマが広く、そして根深いからです。

 

それについては、ここではあまり触れませんので、考察・解説ブログなどを参考にして頂けたら幸甚でございます。

 

それでも、強引に一言で言うと、この映画は「あたたかい作品」です。

 

観終わったあと、思わず笑みがこぼれるような、温かく、希望に満ちた作品だと、俺は思いました。

 

<ストーリー>

物語の発端は、数ヶ月前に娘をレイプされ殺された、フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドが、町のはずれにある三つの野立て看板に広告を出す事から始まります。

 

広告の内容は、娘の事件の捜査が全く進展しない事に対する、警察署長ウィロビーへの批判文でした。

 

そして、広告が出された事により、ミルドレッドの周りの人々や町の住人達を巻き込んで、様々な出来事が連鎖的反応的に起こっていきます。

 

 

<見所>

この映画で特に見て欲しいところは、次の3つです。

 

1、ありふれた差別、偏見、レッテル貼り、バイアス、色眼鏡。その蓋を開けてみるとそこに何があるか。

 

2、ミルドレッドと、警察署長ウィロビー、そして部下ディクソン、それぞれのビフォーアフター。演技もさる事ながら。

 

3、人々の間で起こる出来事の連鎖反応。そして、物語の最後の会話にも注目です!

ここがこの映画一番のカタルシスを生みます。

映画はこういう終わり方が一番好きだ!って言う終わり方です。

 

<まとめ>

とにかく、観て欲しい。

観て貰って、語りたい。

そんな映画です。

 

そんな映画が、一番じゃないですか。

 

「映画って、見終わった後だな」とつくづく感じさせられる映画でした。

 

エンディングの余韻のままエンドロールを2〜3分見つめてから、ようやく息が吐けるような、そんな映画が一番好きです。

 

これから観る方の為になるべくネタバレは抑えましたので、観終わった方は教えて下さい!

是非、語りましょう!

 

スリー・ビルボード

 

 

下記のリンクより、予告編が観れます。

Amazon CAPTCHA

 

興味が湧いたって方は是非観てみて下さい!

 

ほいじゃ、また!

亀田の柿の種 辛さ50倍が予想以上に辛かった件

ケンニチワ!

 

レッチリとレイジアゲインストザマシーン、スケボー(初心者です)とマクドナルド、そして辛い物をこよなく愛する鹿児島のバンド「F.O.G」ギター担当のブッチャーです。

 

また、ジャケ買いしてしまいました。

 

亀田の柿の種 辛さ50倍

f:id:butchersan:20190416153814j:plain

 

挑戦者 求ム・・・

 

なんて書かれていたら、買わずにはいられないよね。

 

一応、パッケージ下部の警告文をよく読み、お子様でも、辛味の苦手な方でも無いので、ご遠慮しなくても大丈夫そうです。

 

f:id:butchersan:20190416154246j:plain

 

このパッケージのデザイン、すごく好きだ。

黒と赤と黄色って、インパクトがあるよね。

 

自然界の危険な動植物同様、本能に危険性を訴えてくる配色だ。

命を刈り取る配色をしていらっしゃる。

 

ところで、いつも思うんだが「辛さ○○倍」って、何を基準に決められているのだろう。

単純にスパイスの分量だろうか?

それとも、素材のスコビル値を計算して出しているのだろうか?

 

これまで、「あ、確かに10倍辛いわ!」とか、「なるほど、50倍辛いッ!」なんて事になったためしが無いので、多分、「100倍カッコいい」とかと同じ様なものなんだろう。

 

ちなみに、全く関係ないけどグリコの「一粒300メートル」は、きちんと計算された根拠があるらしい。

 

さておき、中身を取り出してみよう。

f:id:butchersan:20190416154920j:plain

クリームパンじゃなくて、俺の手ね。

なんとなく、パッケージの悪魔っぽい手が左手で柿の種を鷲掴みにしておりましたので、俺も左手で大体同じ位の分量をとってみた。

 

おもむろに、口に放り込んでみます。

 

ん・・・?

 

あれ・・・?

 

全然からくねー!ハハッ!楽勝!

ハハッ!

 

と、ミッキーも顔負けの嘲笑をプカプカ浮かべながら、次から次に口に放り込んでいると、

 

え・・・?

 

痛ッ!

 

なんだこれ、すごく辛いぞ!

 

キタキタキタキタ!後から来た!

キタキタおやじが腰みのをブン投げる位辛さが遅れてやって来た!

 

そう、誰かが言ってた。

「ヒーローはいつも遅れてやってくる」って。

 

それにしても、この遅れはすごい!

ミリオンゴッドだったら確実にGODが揃う位の遅れっぷり。

 

今までで感じたことのない、「あ、全然辛くないや」からの「辛ッ!痛てえ!」のどんでん返し。

 

映画で言ったら、「セブン」とか「ミスト」レベルのトラウマ的な手のひら返し。

 

いつもニコニコしながらエアガン紹介動画を出している、YouTuberのマッ○堺氏が、二ニコニコしながら「それでは、本日は、実際に、紛争地帯で、実銃のM4を撃ってみましょう」なんてライブ動画を出した位の衝撃。

 

亀田の柿の種 辛さ50倍

辛さレベル ★★★★(後から効いてくるボディーブロー的辛さ)

 

あなどるなかれ、警告文は本当だ。

 

 

久々に、辛いものでハイになりました!

色々な意味で衝撃を受けた。

また、辛そうなものを見かけたら、ジャケ買いして挑戦したいと思います!

 

ほいじゃ、また!